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好みも感覚も価値もすべては定まらない。 [free]

先日、「バイオリン名器の音色が現代モノと大差はない?」というニュースが話題になりました。

何億円もする名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」と現代の安いバイオリンを21人のバイオリニストに弾き比べてもらい、どれが一番いい音がしたか尋ねたところ、安い現代のバイオリンの方を選ぶバイオリニストが多かったという驚くべき結果が出たというニュースです。

年始のテレビ番組でも芸能人格付け番付たるものをやっておりましたが、芸能人が値段の高い方を当てることができない様子などを見ていると、値段が高い=いいもの、という先入観がどれだけ世間を支配しているかというのがよくわかりますよね。

先日の記事でも書きましたが、モノの良し悪しなんて、主観的なものなので、あいまいでわからないものだと本当に思います。

目=好みの色、好みの異性、人それぞれ
鼻=好みのにおい、人それぞれ
口=好みの味、人それぞれ。(私はキャビアなんかより、おいしいカレーライスが食べたいですし)
耳=好みの音楽、人それぞれ
感覚=好みの風呂の温度も人それぞれ

こういう感覚に対して価値の差、値段の差がつくこと自体が本当はおもしろいことだとは思うのですが、それらの価値や値打ちの差は希少性やブランドなどが作り出しているのかもしれません。

ただ、私は希少性やブランドそのものには本質的な価値を感じませんが^^

じゃあ、本質的な価値ってなに?

私の勝手な本質的な価値論を言わせてもらえば、希少性やブランドはもちろん、上のような「好み」に左右されない価値を指すと思っております。

わかりやすい例をあげれば、テレビを買う時、このテレビが世界に数台しかない限定品(希少性)とか、どこどこのメーカー(ブランド)とか、デザインがかっこいい(色彩などの好み)なんてものは本質的な価値ではなく、

記憶容量が多いとか、多機能だとか、丈夫な素材で作られているとか、そういうものこそが本質的な価値なのかなと思います。

どんぶりのご飯を頂くとき、この米がどこどこ産なんてことより、大盛りにしてくれたご飯の方が誰でも多めのお金を出すでしょという考えと同じ発想です^^

こう考えると、物量、機能性、安全性(信頼性)などが本質的価値の一部として言えるのかもしれませんね。

こういうことを書いていると、好き嫌いの世界の音楽という芸能、芸術に関わっている私は少し複雑な気分になってきますが^^

音楽という好き嫌いの世界は、数多くある主観的価値をどれだけ得られるか、支持してもらえるかというところがあるので、こういう本質的価値論の話はしにくいですね。

うーん、音楽の話をしていて思うのですが、本質的価値というものは、別の言い方をすれば、公的価値、共有価値とも言い換えられるのかもしれませんね。(本質という言葉はちょっと、おおげさかも)

そんなこんなことをよくぐだぐだと考えていた私は上のニュースを知っても大して驚きはしませんでした^^(だって、良い悪いじゃなくて、好き嫌いの世界だもん)

こうやって書けば書くほどですが、価値ってなんなの?と思います^^

どういうものにどれだけお金を出すかなんて人それぞれ。(“人それぞれの”いいもの→高くても買う)
とりあえず、値段が高い→いいもの、という考えは馬鹿げたものだということはよくよくわかりました。

やじるしの向きに注意して、それぞれの価値を見出していきましょう。

ではでは。

目の錯覚[2].jpg
有名な錯覚図ですね。もちろん、ふたつの線は同じ長さです。好みも人それぞれ、錯覚や幻覚などもあることを考えると、なおさら、価値なんて定められないと思いますね。その他のおもしろ錯覚を使ったおもしろトリック写真→http://commonpost.boo.jp/?p=17624


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