便利をどこまで適用するべきか。 [philosophy]
スマホユーザーも増加して、それに伴っていろいろなアプリが出てきています。現在は数十万個のアプリが存在するようですね。(すごい数です)
便利なアプリ、おもしろいアプリ、いろいろあります。その中で悪い意味で気になったアプリを本日はご紹介。(だから宣伝ではないですよ笑)
日産、話題をアドバイスしてくれるアプリ「ドライブトーク」
http://bcnranking.jp/news/1301/130128_24665.html
これ、ドライブの時に話題を提供してくれるアプリなんですが、(「はじめて運転した時の話をしませんか?」とかアプリが話題を提案)個人的にはうーんって感じです。でも、このアプリ、昨年は7万ダウンロードを記録したようです。会話くらい、というか、自己発信くらい自分で決めれば?と思うのは私の感性が古くさいせいなのでしょうか?
大げさにとらえれば、「現代人の自主性の低下」をも感じてしまいます。
転じて言えば、発想力の低下。
確かに、話題に困った経験は私もありますが、そこでなんとか話題をひねり出すのがひとつの人間力だと思うのですが、、
その時は結構、脳をフル回転させますし、そういう意味では脳を使う機会をも減少させることにもなるかもしれませんよね笑
便利とは手間がなくなること
手間がなくなることはその労力、能力が不必要になること
不必要になることは存在しなくなること
つまり、便利はある種、能力を失うことでもあるわけです。
計算機は自分自身の計算力を衰退させ
メールなどは文字を書けなくさせw
ネットは行動を減少させる(引きこもりで生活が成立)
便利はいろんなことを代行してくれるわけなので、その分の能力が自分自身から引きはがされいく感じでしょうか。
ゆくゆくはさらなるネット社会の発展により、本当に外の世界に出なくても、ほとんどの人が生活できるようになる可能性があります。
使わない能力(筋力も)は衰退していき、いつかは無くなります。
そんな究極の世界でも、「意識」だけは最後の砦であり、「便利」に浸食されていはいけない部分だと私は大げさに考えたりします。
私自身、他の人から「無から生み出すこと、作曲ってすごいね。」とかよく言われますが、私から言わせれば、曲に限らず、考えること、発想すること自体はみなさんもやっていることで、私だけが「無から生み出す」ことをやっている自覚はありません。(ただ生み出すジャンルが違うだけ)
発想が無くなるということは新しいものが出てこなくなるということ
考えてみてください。世の中、今、既にあるものだけで今後も永遠にやっていけると思いますか?発想がなければ発見もなくなります。ips細胞だって、次世代エネルギー源だって、生まれてこない。進化が止まります。
あ、話が拡大しすぎましたね。。。すみません。
とにかく、言われたことしかやらない新卒社員が問題視されたりしますが、そういう人間は成長しませんよね。人類で考えてもそれは同じです。(人類の成長、進化は止まる)発想が大事。作曲もそうなんです。それがなければ、新たなものができません。
発想という作曲をしているからこそ、過敏にこういうことを考えてしまうのかもしれませんね。だから、このアプリにとても反応してしまうのかな。
発想すること、考える力を、どんなに便利になったとしても、いつの時代も大事にしていって欲しいと考える私なのでした。
まあ、このアプリを本気で使っている人がどれだけいるかはわかりませんがね笑。(遊び半分がほとんど?)
そもそも、フォーマット化された話題じゃつまらないよね。(人によって変わる会話だからこそおもしろい)
あ、もう、いい加減にします。。
ではでは
こういう話をするといつも思い出すのが映画「サロゲート」。近未来、人類の96%がサロゲートというロボットを身代わりにして生活するというもの。自分本体は危険のない自宅にて、右の写真のようにロボットを遠隔操作する機械に固定された状態。こんな状態でも、気持ちはまだ浸食されていませんからね。
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