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作曲家の平和論 [philosophy]

最近、私が思うこと。(少し前にツイートもしましたが)


人はよく他人と比較をします。まあ、それは仕方のないことです。でも、比較をした時、それは「優劣」でなく、単なる「違い」として捉えた方が良いと思うのです。


言い換えるなら、「上下の比較」ではなく、「並列の比較」


例をあげるなら、

「自分の方がつらい」、「自分の方がすごい」よりも

「自分とは違うつらさ」、「自分とは違うすごさ」の方が断然いい。


そこには謙虚や尊重が存在します。


偶然にも同じような内容がこの記事でも書いてありました。笑


なぜ、男の思考はいくつになっても小4なのか

http://blogos.com/article/93627/


こういう話は個人レベルだけのものではないかもしれません。


イスラム国への空爆が始まったり、不安定なウクライナ情勢など、世界は緊迫状態です。


人類史を振り返れば、数々の侵略戦争、白人至上主義、宗教戦争、資本主義、共産主義、保守、リベラル、、、


優劣をつけて全部を同じ色に塗り替えようとするのはいかがなものか。

(悲しい犠牲者、その家族が増えるだけ)


平和な国で吞気に室内で音楽を作る作曲家はそんな寝ぼけたような平和論をたまに唱えたくなります。


「私はあなたより高く跳べる」もいいですが、

「私はあなたとは違う跳び方ができる」でいいのでは?(私なりのおもしろい跳び方ができるでもいい)


「優劣」ではなく「違い」


それはオリジナリティとも言えるかもしれません。


そうそう、音楽もそうあるべきなんですよね。。(本来、売上、ランキングなどの優劣ではない)


相手のオリジナリティ、自分のオリジナリティ、仕事のオリジナリティ


優劣じゃなく違い。


あ、たぶん、この考え方はスポーツ的精神ではなく、芸術的精神なのかもしれませんね。(スポーツ好きの作曲家ですが)


だから、すべての人よ、芸術家であれ。笑


そうすれば、きっと、家庭内平和や世界平和も築けるはず。

なにより、自分の中の心の平和が築けるはず。


ではでは

 

baby_hand.jpg

昨日、父の誕生日で帰省。久しぶりに甥っ子と遊びました♪

この子が成人する20年後の世界はどうなっているのだろうか?

同じ目線で一緒にハイハイをして遊んで、先にへばってしまう私は彼に尊敬の念を抱きながら、上記のようなことを思ったのでした。(少々大げさか^^)私は彼より体は大きいし、経験や知識はあるけど、彼ほど無垢ではないし、ある部分では体力もない。笑。確かに、このように部分部分では優劣はあるが、円グラフで見れば、単にグラフの形が違うだけの話。やはり、優劣じゃなく違い。


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