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2015年総括(長文) [free]

2015年、海外の出来事
http://www.yomiuri.co.jp/feature/top10news/20151201-OYT8T50205.html

2015年、日本の出来事
http://www.yomiuri.co.jp/feature/top10news/20151201-OYT8T50169.html

毎度毎度言っていますが、あっという間の一年でしたね。今日は総括ということで、いつものブログとは違って、ダラダラと思いのまま書くので興味のない方はスルーしちゃってください。(たぶん長くなる。。)

今年何があったっけ?と既にボケ老人みたいになってますが、まあ、人間忘れるものです。ニュースだって、記憶だって、歴史だって、技術だって、なんでも上書きされていくものですから。(おおげさ^^)

たぶん100年後には自分(存在)のことだって、上書きされて忘れ去られているでしょう。

人生のうちで何かを残すなんてことをたまに聞きます。
私の場合は音楽になるのかもしれませんが、100年後も聴かれる音楽なんて数少ないと私は思っています。(実際、100年前の音楽はそんなに聴く機会はない)

上書きされない、忘れ去られない何かを残すと意気込んでいる人もいるかもしれませんが、よほどの大物じゃない限り、100年単位で考えて、何かを残せる人間なんてほとんどいないのではないかと考える私です。

上書きされる、忘れ去られる、残らないと考えるとなんだか切ない感じがしますが、私はこう考えます。

種を植える、根をはる、芽をだす、成長する(枝をはる)、実をつける


すべてが上書きされ、忘れ去られ、残らないとしても、すべてが、こういう木の成長、植物の成長のようにつながっていると考えれば切なくないのではないかと。

もっと砕けた違う言い方をすれば、
レベル1の私たちがいたから、レベル2の次世代があるわけです。レベル10からすれば、レベル1の私たちの存在なんて、無いようなものかもしれませんが、それは木の成長のようにつながっているわけです。(残らないけど、つながっている感じ)

2015年もいろいろありましたが、こういう観点からすると、先日採択された、COP21のパリ協定はとても意義があると思っています。目標達成の義務が無いことや、日本のエネルギー政策が世界の流れと逆行していることなど、いろいろと問題点はありますが、「次につなげる」という点ではやはり意味があります。(京都議定書のようにいずれ、このパリ協定も上書きされるでしょうが、これがあるから次があるのです。)

私、個人的な話としては、
今年は脱サラをして音楽の夢を追いかけて10年になる年でした。Apple Musicが始まったり、JASRAC以外の著作権管理団体が生まれたり、音楽業界の激変もありましたが、その辺も合わせて、いろいろと考える年でした。

そして、上述の木の成長論に沿って、私はこう考えるようになりました。

これまでの10年間は夢を追いかけてきた。これからの10年は実を追いかける。
言い換えるならば、
これまでは根を張ることを頑張ってきた。これからは枝をはり、実をつけることに力を向ける。

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枝を張るのはまだ早い、今はしっかり根をのばせ
(「大器晩成」の一節。作詞:星野哲郎)
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好きな言葉であり、つらい時、自分に言い聞かせてきた言葉です。もがいて悩んでいる若者にも是非送りたい言葉ですね。(おっさん気分。笑)
でも、おっさんはそろそろ枝を張ろうと思うよ。^^;
(実際、この考えのせいか、今年はアプリゲームの音楽や、マキシマムザホルモンさんのDVDの音楽だったり、音楽活動が多岐に渡りました。)


種を植える、根をはる、芽をだす、成長する(枝をはる)、実をつける

当たり前のことですが、これは本質をついていると私は思います。(木の成長論)

例えば、
一発屋が、何かの拍子に大きな実をつけた(成功)としても、そこに根がはってなければ、すぐに腐るのです。

不肖、私小形誠は、そろそろ実をつける方向へ行こうかなと思ってはおりますが、もしも、私の足元(根元)がゆるんでたら、みなさま、是非、お叱りください。^^;

そうそう、そういえば今年は、1月から毎月、小形交流会を開いて、人と会う機会も増やした一年でもありました。引きこもり作曲家が社会とのつながり、人とのつながりを作るために始めたというのもあるのですが、一方で、このSNS時代、実際に人と会うことの重要性を感じて始めたというもありました。

SNS上で、何百人、何千人とつながり、一気にコミュニケーションがとれる時代にはなりましたが、果たして、SNS上でどれだけの人がどれだけの人に対して「種を植えたり、芽をだすきっかけを与えたり」しているだろうか。(単に知り合い、単につながっているだけってどうなんでしょうかねえ)

いずれ消え去るこの命、忘れ去られるこの命ですが、

誰かのために種を植えたり、何かのために根をはったり、芽をだす手伝い、成長する手伝い、実をつける手伝いなどができた時こそ、この命や人生はとても意義のあるものになるのではないかと私は思うのです。

たとえ、いつか、自分のことが上書きされたり、忘れ去られたりしたとしてもね!

たまに、「◯◯さん(有名人)と知りたいだよ」とか言う人や、SNS上の友達の多さを重要視している人がいますが、私の「木の成長論」からすると、うすっぺらです。意義が薄いです。。

それこそ、そういう人は簡単に上書きされ、忘れ去られて終わる気がします。(辛辣)

人の出会いや関係、何かのプロジェクトや組織との関係も、単に「知り合い」「属している」という二次元的な発想ではなく、「自分との間に何が生まれたか」「種を植えたか」「芽を出したか」など、三次元的な内容を重視した方がいいのではないかと勝手に考えます。(内容が大事)

何度も恐縮ですが、

種を植える、根をはる、芽をだす、成長する(枝をはる)、実をつける

こういう当たり前のことがやっぱり大事ですよね。。

私自身、多くの種を皆様から頂き、音楽という実にさせて頂いてます。(その音楽がまた誰かの種になるのなら、またうれしい)

上述したように、上書きされ、忘れ去られる世界で、何かを残すことは難しいですが、こういう考えのもと、「誰かの成長、何かの成長に関わる」ことはできるのではないかと考える私なのでした。(簡単に言えば、そこに次につながる内容はあるかい?ってこと)

そんなこんなで、
2016年、よりいっそう、私、小形誠は、誰かの、何かの種、根、芽、枝、実になるような生き方ができたらいいなと思っております。(音楽活動は根から実になる方向で)

改めて、
2015年、家族を始め、私のことを気にかけてくださった皆様、一年間、本当にありがとうございました。

そして、一年間、アミまこのご愛読ありがとうございました。
皆様、よい年をお迎えください。

小形誠

IMG_1622.JPG
2014年の総括の時もご紹介した、どこかの種が飛んできて芽が出た雑草の「たじょうまる」です。今はこんなに成長しました。彼の成長を眺めながら、話しながら、一年がんばりました。だから、こんな木の成長論みたいな話になっちゃったのかな。笑


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