フェイク動画を作るAI vs フェイク動画を暴くAI [cyber]
https://wired.jp/2018/09/14/deepfake-fake-videos-ai/
・オバマ前大統領がトランプ大統領を罵る動画が話題になったが、それもフェイク動画
・AIが作成するフェイク動画、そしてそのフェイク動画を見破るAI。AIとAIの闘いが既に始まっている
・AIは、人間が自然に発する生理学的信号すべてを完璧に再現はできない。そこで、「まばたき」に注目し、まばたきについてのアルゴリズムを学習したAIがどんどんフェイク動画を暴いていく(人間は通常、2〜3秒に1回まばたきするが、フェイク動画の人物は滅多にまばたきしない)
、、、以上記事引用参考。
この動画、フェイク動画なんですよ。。すごいですよねえ。。少し昔でしたら、こういうCGや合成ってかなり大変な労力と時間が必要でした。しかし、今は比較的簡単に作れるようになってきています。(口と声をシンクロさせて合成する技術は今では簡単なのでしょう)
【人工知能による人工合成音声もかなりリアルに!?どんどん情報の真偽の判断が難しくなる時代へ。】
https://gata.blog.so-net.ne.jp/2016-09-14
昔、書いたブログでも言っていますが、本当に情報の真偽の判断が難しくなってきていると思います。
写真も動画も音声も今の技術があれば、やろうと思えば、すべてでっち上げることも可能でしょう。
【AI(ロボット)同士の争いや会話が日常に。人間は既に蚊帳の外?】
https://gata.blog.so-net.ne.jp/2017-03-09
こんなブログを書いたことも思い出しました。
ウィキペディアが自動編集ロボットによって、24時間ずっと編集が繰り返されているという話です。(年に数千回単位)
そのブログでも書いていますが、人間は知識の集合体です。
その大事な知識の部分にAIがどんどん侵入してきているのが、私はとても気になります。
(AIがフェイク動画作ったり、ネット上の情報をどんどん編集したり)
こういうことを考えていると、自分に飛び込んでくる情報すべてに疑心暗鬼になってしまいますよね。^^;
ただ、すべてを疑ってかかるのもどうかと思います。やはり、基本は「徐々に信じていく」というスタンスが一番なのかなと勝手に思っている私です。
信じるか信じないかの白黒ではなく、グラデーション。それは対象となる人やモノに対して、信じるを積み重ねていくグラデーション。(時系列グラデーション)そして、もうひとつは、アナログ的に自分に近い人間の信じる濃度は高め、遠くなればなるほどその濃度は薄くなっていくというグラーデションという考え方。(アナログ距離的グラデーション)
実は昨日、私、誕生日でまたひとつ歳をとりました。
小形誠という名前は、「大きなことでなくてもいい。小さなことでもいいから誠を尽くし、積み重ねる」と、自分の中で勝手に意味をつけています。
上記のように、世の中は本当に何を信じればいいのかわからないような状態ですが、改めて、自分の近くの人間、大切な人をまずは大事に、そして、グラデーション感覚で世間と丁寧に向き合っていきたいなと思いました。
ではでは
P.S.たくさんのお祝いのメッセージなどありがとうございました。
多くの技術やツールが発達して便利になりますが、それと同時にリスクが発生するのはいつものこと。メリットとデメリットはいつも同時。やはり一番大事なのは、それらを使用する人間、人間の心ですよね。(例えば包丁だって使い方次第)AIがコントロール不可になる前に人間の心がどこまで進化できるかがひとつのキーポイントだと私は思っています。
ホワイトノイズは脳に悪影響?ホワイトノイズの是非 [music]
【「耳鳴り軽減」や「集中力アップ」に効果があるといわれるホワイトノイズは聞き続けると脳に悪影響が出る可能性あり】
https://gigazine.net/news/20180907-white-noise-change-brain/
・ホワイトノイズは集中力のアップや睡眠誘導の効果があるとされているが、脳に良からぬ影響を与える可能性あり
・例えば、神経細胞のつながりをネガティブな方向に再接続することを示す証拠が明らかに
・研究では60〜70デシベルの音量のホワイトノイズを使用。つまり、日常会話レベルの小さい音量でもホワイトノイズの影響が出てくる?
、、、以上、記事引用参考。
ホワイトノイズってなに?という方は「ホワイトノイズ」で動画検索すれば、すぐに聴けると思います。「サー」とか「ザー」とか、テレビの砂嵐の音がよく例としてあげられます。
脳に悪影響かもという研究結果ですが、記事の最後では「ホワイトノイズは危険と結論を出してしまうには時期尚早」とも言っています。
本当にそうだと思います。
何事も極端はよくありません。
そもそも、ホワイトノイズは良くなさそうだから避けようと考えても、どう避けるの?という話です。笑
言ってしまえば、普段の生活環境の中に、ホワイトノイズはどこにでもひそんでいます。それらすべてを遮断することは不可能と言ってもいいでしょう。
もしもできることがあるとすれば、それは意識的に聞いている音のことですよね。つまりは音楽です。
特に昔の音楽にはホワイトノイズの成分が多く含まれています。実際、映像の演出などで、昔の音楽っぽさを出す時、わざと「サー」っていうノイズを入れたりもしますよね^^
今の時代はノイズを除去するテクノロジーが発達しているので、現代音楽は比較的ホワイトノイズは少ないと思います。(私もそういうプラグインを保持しています)
これらのことを踏まえると、もしかしたら、ホワイトノイズが多く含まれる昔の音楽ばかり聴くのはあまり良くないことなのかもしれません。^^;でも、昔の人たちは、その音楽ばかりを聴いていたわけで、じゃあ、昔の人たちの脳はホワイトノイズのせいでおかしくなっていたのかと言われるとそうとも言い切れませんよね。^^(小形の思考がまた巡る)
上述したように、耳鳴りや集中力アップのためにホワイトノイズを意識的に聴いている人、そういう極端な聴き方はよした方がいいかもしれませんし、
音楽に関しては、とりあえず、昔の音楽と現代の音楽の両方をバランスよく聴くという感じに、ジャンルだけでなく、時代性もバランスよく聴いていった方がいいのかもしれません。
とにもかくにも、極端な音楽の聴き方はおすすめできないということです。
でも、これはホワイトノイズの観点だけに限らない話かもしれませんね。
音楽には言葉や感情、思想など、多くのものがこもっています。音楽から受ける様々な影響を考えれば、それらを極端に聴くのはやはりおすすめできないとも思います。
良きノイズライフを。良き音楽ライフを。
ではでは
【小形出演のお知らせ】
音楽仲間の津村友華ちゃんがDJをするラジオ番組にゲスト出演することになりました。
明後日13日15時から浦和レッズウェイブ87.3FMです。
http://redswave.com/2018/08/27/%E2%97%8B%E2%97%8B-recommend-sounds/
せっかくなので、出来たてほやほやの小形のプライベート音源を流そうかなと思ってます。よかったら聴いてみてください。【追記】13日は収録で、放送は27日みたいです。宜しくお願いします。
昔に比べて現代の音楽はノイズが少なくなったかもしれませんが、その一方で、日常生活のノイズは、昔より現代の方が多くなっているかもしれませんよね。
寝不足の人は、近寄りがたく非社交的な人だと、他人から思われやすい(研究結果) [health]
【寝不足だと、非社交的な人だと思われやすい:研究結果】
https://www.lifehacker.jp/2018/09/174623-relation-sociability-sleep_gizmodo.html
・寝不足(徹夜明けの)の人はより多くのパーソナルスペース(他人に近づかれると不快に感じる空間)を求めることが判明
・寝不足の人は、十分に睡眠をとった人々と比べて孤独を感じる傾向が強いことが判明
・寝不足の人は、非社交的に見られることが多いと判明
それはつまり、
・睡眠不足の人々が社会的コミュニケーションをとることへの意欲が弱まるということは、睡眠不足によって社会的孤立がより深まる可能性があるとも考えられる
・他者への孤独感の伝染効果は、睡眠不足の人と接触する他人にまで波及し、さらなる孤独と社会的孤立を広げる
さらには、
・睡眠不足の場合、脳の中の「脅威の評価を担当する部位」で高い神経活動を示し、「人々の気持ちや行動を理解する部位」の神経活動は著しく低下していたことが示された
、、、以上、記事引用参考。
私は睡眠を削るという判断は最後まで絶対にしません。(たくさん寝たい)
上でいろいろと書きましたが、私が気になったポイントを簡単に言ってしまえば、
寝不足の人は近寄りがたく、非社交的に見られる
、、ということです。
大事なポイントは、寝不足の人が実際に非社交的な性格になってしまうかどうかではなく、「他人から近寄りがたく、非社交的に見られる」というところです。実際そうじゃなくても、他人からそう見えてしまうということ。
でも、想像してみれば、なんとなくわかりますよね。徹夜明けとか、寝不足の人って、どこか不機嫌で、近寄りがたい雰囲気を醸し出していますよね。(寝不足なのに、陽気で笑顔、社交的って人はなかなかいないかも)
私の個人的な意見ですが、寝ないで頑張ることをほめ称えたり、かっこいいと思わせる「日本の悪しき文化、思想」はまだまだ根付いていると思います。(炎天下の甲子園で連戦連投する投手を持ち上げるのとも少し似てるかも)
日本人は「つらい中、無理してがんばる姿」が大好きなのでしょう。
でも、現実的に合理的に考えれば、それらの思想は否定される要素がとても多かったりもします。
寝不足のデメリットは今回とりあげた内容以外にもたくさんあるのはご存知の通り。
ただ、今回、「寝不足の人は近寄りがたく、非社交的に見られる」という内容が興味深くて、とりあげてみました。
【社員の4分の1を味方にすれば全体を説得できる】
https://www.lifehacker.jp/2018/09/25-of-a-group-can-change-everyones-behavior.html
・少数派がグループ全体の約25%以上になると全体を説得する成功率が高くなることがわかった
、、、以上、記事引用。
25%の勢力で、全体を説得することが可能になってくる。つまりは、25%の勢力でもそれなりの影響力が出てくるわけです。これは会社に限らず、国全体でも言えることかもしれませんよね。
日本人は外国人から、近寄りがたく、非社交的と見られることが多々あります。それはもしかしたら、国全体が寝不足だからなのかもしれません。笑
さらに、それはもしかしたら、「寝ないで頑張る、つらくても頑張る姿が大好き」、というような非合理的な悪しき思想を持つ人々が日本には25%以上いる証拠と言うこともできるのかもしれません。^^;
なーんてふうに、また、おもしろおかしく、拡大解釈してみるのでした。笑
ではでは
若い時は徹夜できましたが、今は無理ですね。。今は、徹夜するとわかりやすいくらい、あらゆる機能が低下します。機能低下させながら頑張り続けるのはやっぱり非合理的ですよね。
友達になるまでの所要時間。親友になるまでの所要時間。 [life]
【人生に本当に必要な友だちは何人?一生の親友のつくり方】
https://www.mylohas.net/2018/09/174341friend.html
・生きていくのに本当に必要な、信頼できる友達の数は3人から5人
・なにかにつけて自分を助けてくれる「知り合い」のネットワーク(数)を増やすことも同じくらい大事
・知り合いから友達になるまでには50時間、共に過ごす必要があるという研究結果
・友達から本当の友達になるまでにはさらに40時間(上の50時間と合わせて90時間)
・親友になるためにはトータル200時間が必要
、、、以上記事引用参考。
所要時間の部分が特に興味深かったです。記事の中では、「親友への道はトータル200時間。日数にすると約8日」と言っていますが、、ちょっと違うでしょ。。24時間共に過ごすスケジュールなんてほとんどないでしょ?(つっこみ)
例えば、夜の19時から会食をして24時に解散するという日程は現実的によくあるパターンだと思うので、それだと所要時間は5時間ほど。これを基準にトータル200時間を想定すると、40回くらいは会食する計算になりますよね。こっちの方が現実的な計算だと思いませんか?^^
40回会食したり、会ったりしたら、まあ、親友というレベルになりやすいのかもしれません。(あくまで基準ですが)
【親友と呼べる友達の5個の共通点。単なる友達との違いとは】
https://seikatsu-hyakka.com/archives/12221
1、どんな悩みでも相談できる
2、言いにくい事も言い合える
3、相手の感情に共感出来る
4、ものの貸し借りが出来る
5、どんなに離れても関係が変わらない
(6)欠点が指摘出来るか出来ないか
(7)何年会えなくても接し方が変わるか変わらないか
(8)沈黙が苦になるかならないか
(9)迷惑をかける事が苦になるかならないか(素直に助けを求められるか)
(10)長時間一緒に居られるか居られないか
(11)家族に紹介出来るか出来ないか
(12)考えている事が分かるか分からないか
、、、以上、記事引用参考。
これもまた、あくまで一つの基準です。これを全部満たす人はなかなかいないとは思います。^^;
そして私が思うことは、、、
1から12まで満たす友人を一人持つのも結構ですが、1と5を満たす友人、3と4を満たす友人、というように、それぞれの項目を満たすような友人をたくさん持つというスタイルも全然ありだと私は思います。
安直に言えば、濃く狭い友人関係なのか、薄く広い友人関係なのか。
濃く狭いだと、その人と会えばすべて解決する一方で、その親友を失った時の衝撃は計り知れません。
一方、薄く広くだと、問題ごとに多くの人と会わないといけませんが、そのうちの友人ひとり失ったとしても精神的打撃は少ないかもしれません。
つまり、どちらもメリットとデメリット、両方あります。
なので、親友がいないと嘆いたり、友達が少ないと嘆くことは、あまり意味のないことだと思います。大事なのは、自分なりの友人関係のスタイルを構築することですよね。
とりあえず、ひとつ言えることは、
上述した、共に過ごす時間が200時間必要だという話ですが、その時間はSNS上でカウントされるかどうかは不明ということです。
私は直接、人と会うことを重要視してはいますが。
ではでは
自分は親友だと思っていても、相手は自分を、、??というところの視点も大事だと思っています。下記は過去に書いた、友達をテーマにしたブログ記事です。上記とかぶる部分もありますが、よかったら。
【友達が少ないほど幸せ?】
https://gata.blog.so-net.ne.jp/2015-10-13
【人生において大切にすべき3タイプの人間】
https://gata.blog.so-net.ne.jp/2015-06-07
Twitterは友達を減らせと促し、Facebookは友達を増やせと促す。SNSによって友人関係が決められていく時代? [cyber]
【Twitterが「このアカウントのフォロー外したら?」機能をテスト】
https://gigazine.net/news/20180830-twitter-suggest-unfollow/
・定期的にチェックしていないTwitterアカウントのフォローをやめることでタイムラインの質を上げられる、として、Twitterが「ユーザーにアンフォローのリストを表示する機能」をテストしていたことが判明
【Facebook、友達以外との共通点を表示する機能をテスト---つながり促す狙い】
https://japan.cnet.com/article/35124597/
・Facebookは「things in common」(共通点)という名称の新たなラベルをテストしていることが判明
・同じ公開グループに参加していたり、同じ企業で働いていたりなど、共通点を見出して、本来ならすれ違っていたかもしれない人々を積極的につなげる狙い
・米国でのみ実施している小規模なテスト
、、、以上、記事引用参考。
私の場合、Twitterは面識のない人とも結構つながっていますが、Facebookは面識のある人としかつながっていません。不特定多数的SNSと身内的SNSという感じで使い分けています。(同じような使い方じゃ意味ないかなと思いまして)
そういう使い分けのせいか、FacebookよりおTwitterの方がつながっている人数は多いです。
私のこういうSNSの動向を知ってのことかどうかはわかりませんが、^^;
上の記事によると、テスト段階ではありますが、
・Twitterは友人関係を減らそうと促している
・Facebookは友人関係を増やそうと促している
、、ということです。なんだか面白い関係性ですね。
なぜ、そういう動きになったのかは色々と推測はできますが、長くなるので今日はやめておきます。^^;
ただ、思ったのは、
自分の(SNS上の)人間関係がSNSによって促され、決められていくのはなんだか嫌だなということ。(自分の人間関係くらい自分で決めたい。もちろん、最後にSNS上のボタンを押すのは自分だけど)
もちろん、上記のサービスによって、得られるメリットもたくさんあるとは思います。
しかしながら、
リアルな人間関係はボタンひとつでつながったり、遮断されるようなものではないということもよくよく頭に入れておきたいところです。
ではでは
本当、リアルな人間関係(実際に普段会う人)とリアルじゃない人間関係(SNS上だけの関係の人)は区別して考えた方がいいと思います。
発想が異なる「男女」の12の違い。そして、雑感 [life]
【知らないと損をする?発想が異なる「男女」の12の違い】
https://diamond.jp/articles/-/176585
(1)価値観
男→自立、成果、成功が大切、他人と差をつけることが最優先
女→分かち合い、配慮、支え合いが大切、愛を与え合うことが最優先
(2)ストレスへの対処
男→ストレスを感じると、充電のために"洞窟"に引きこもり、問題から距離を置いて解決策を探そうとする
女→近くの人に相談し、共感や支えを得ることでストレスに対処しようとする
(3)相手に与える愛情の量
男→相手と公平と思える量の愛情や支えを与え合うことをよしとする
女→できるだけ多くのサポートを相手に与えようとする。自分が受けとる以上の量になることが多く、結果として疲れ、腹を立てやすい
(4)愛情表現のタイミング
男→一度近づいたら、しばらく距離を置き、再び愛情を感じた時に戻って来たい
女→いつでも近くにいて、愛情を表現し合いたい
(5)愛情表現の評価ポイント
男→愛情の大きさが重要。32本のバラを贈れば32ポイントが得られると期待する
女→愛情表現の回数が重要。1度の愛情表現はあくまでも1ポイント。32本のバラを受けとっても、1本のバラを受けとっても1ポイント
(6)気分
男→気分は安定している。愛情が必要なタイミングは周期的に訪れる。愛はゴムバンドを引っ張るようにゆっくり離れていき、最後に勢いよく戻ってくる
女→気分は波のように変化する。愛されているという安心感が必要。理解され、受け入れられているという感触を得ると、嫌な気持ちや不安はポジティブな感情に変わる
(7)コミュニケーションの目的
男→会話の目的は問題解決や目標達成のための情報収集
女→会話の目的は問題解決だけではなく、つながりや共感を得ること。
(8)相手への要求の伝え方
男→単刀直入に用件を話し、欲しいものを求める
女→"自分が受けとりたいものを相手に与える"という黄金のルールに従う。そのため、自分が与えていれば、こちらから求めなくても相手も与えてくれるはずだと期待する
(9)親密さの表現で大切なこと
男→自分と同じようにセックスを望み、楽しむパートナーを求める。セックスは愛を確かめるのに役立つ
女→寝室の外で愛情を示されることが、寝室の中と同じくらい重要。愛されていると感じることが、セックスへの欲求を高める
(10)問題解決
男→問題に直面すると、即座に行動する。とれる行動がない場合は、何かできるようになるまで放っておく
女→問題について話し合い、一緒に解決に取り組んで欲しいと考える
(11)恋愛で壁にぶつかったとき
男→原因を分析し、問題を解決しようとする
女→後悔を感じ、間違いを補うために相手にさらに愛情を与えようとしたり、改善策を考えたりする
(12)幸福
男→意義のある目標を達成した時が幸せ。課題の克服に大きな満足感と誇りを覚える
女→個人的な愛の欲求が満たされた時が幸せ。相手と愛を与え合えると実感できる。
、、、以上、長々と記事引用失礼。。
言うまでもなく、これはあくまで傾向の話です。近頃、男性の女性化、女性の男性化とよく言われるように、一概に上記を適用するのは難しいかもしれません。そもそも、上記の男女の傾向(特徴)って、生物学的、根本的なものなのか、はたまた、ひと時代前の少し古い男性像、女性像なのか、その辺の捉え方も難しいですよね。
ただ、思うのは、
昔はたぶん、「男性とはこういうもの」「女性とはこういうもの」という考え方が明確(固定的)でわかりやすかったと思うんですよね。それは、考え方に自由度がなく、お互いに窮屈で生きにくいと捉えることもできるし、一方では、明確でわかりやすい分、その価値観に沿えば、生きやすいと捉えることもできると思います。(男女像のモデルがある分、わかりやすい?生きやすい?)
もしかしたら、今の時代は男女像のモデル(お手本)というものが明確にない分、生きにくいと言うこともできるのかもしれません。もっと言えば、付き合う相手によって、自分の特性も変わりますからね。^^;(優しい人と付き合えば、優しくなれるし、怒りっぽい人と付き合えば、、、みたいな)
上記の男女の特性はあくまで、大きな括りだし、「男とは」「女とは」という単体での話。
でも、私たちがよりいっそう意識しないといけないことは、
「この人と一緒にいると、○○な自分になれる」みたいな、個人的小さな括りで、相関関係で捉えていくことだと思います。
つまりは、
追い求めるべきは、捉えがたい「男性らしさ、女性らしさ」よりも、「自分らしさ」「あなたと共に生きる自分らしさ」なのだと思います。
、、と、えらそうに言いつつも、上記の傾向はやはりおもしろい。笑
大きな括りの傾向と、小さな括りでの自分らしさ、両面で考えていきたいですね。(どっちが大事ではなく、両方大事)
ではでは
今では、性別が男女の2種類だけではないことは当たり前。そういう点で考えてもやはり、考えるべきは「男性らしさ」「女性らしさ」ではなく、「自分らしさ」「あなたと一緒にいる時の自分らしさ」なのだと思います。まあ、ただ、上記の男女傾向の話は話でおもしろい。実際、いくつか自分も該当する傾向があるしね。笑
人間はストーリー化された情報を好み、求め、受け入れていく [society]
【人はなぜ「ストーリー化」された情報を求めるのか】
https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-074816/
・人間は事実の羅列では情報が頭に入ってこない。ストーリー化された情報を求め、受け入れていく
・しかし、ストーリー化された情報を検証せずに鵜呑みにしてしまうという「ストーリーバイアス」には注意が必要
【例】
・国王が逝去し、そして、王妃が逝去した
・国王が逝去し、そして悲嘆のため、王妃が逝去した(ストーリー化)
本当に悲嘆して逝去したかは不明。
、、、以上記事引用参考。
甲子園の金足農業フィーバーも色々とストーリー化されたからこそ(メディアが多くのエピソードを紹介)、ここまで盛り上がっているのではないかと私は思っています。
大阪桐蔭の球児たちだって、親元を離れて野球をしてとか、今時スマホ禁止とか、月に一回のコンビニでの買い物が楽しみだ(ツイッター情報)とかとか、他にも多くのストーリーがあるはずです。
言ってしまえば、ストーリーのない人間なんていないわけで、どこにスポットをあてるか、表面化するかだけの違いのような気もします。
記事の中では、人間がストーリー化を求める理由について、「安心できるから」「心の中で何らかの決着をつける必要があるから」などなど述べていますが、私はもっと単純な理由だと思いますね。
人間はみんな、自身のストーリーを持っているからこそ、ストーリーを好む(共感できる)
こういう単純な理由だと思うのですが、どうでしょう。
さらには、ストーリー化されたその情報が自分のストーリーと少しでも重なれば、なおいっそう、共感や感動をするのは当たり前の話ですよね。
年を重ねると涙もろくなる原因は、この辺にもあるのではないかと考える私です。(自分の中でいろんなストーリーが蓄積していくから)
余談ですが、
オーディションをテレビ番組化するのも、ひとつのサクセスストーリー戦略の一環です。(ストーリー化で受賞者を一気に盛り上げる戦略)一時期、歌手発掘オーディション番組が乱立した時は、サクセスストーリー戦略で歌手を無理やり作り出そうとしているんだなと冷静に分析していた私です。^^(オーディションを受ける人たちの裏側の苦悩を見せるのなんて、ストーリー化戦略の典型です)
話を戻して、、、
いずれにせよ、ストーリー化の威力は絶大であることは間違いありません。(人間はみんなストーリーが大好き)
情報を発信する際は、うまくストーリー化して、
情報を受ける際は、ストーリー化に惑わされず、事実をしっかり捉える、
という意識がいいのかもしれません。
ではでは
他人のストーリーを読んで、見て、感じて、共感、感動するのもいいですが、自分のストーリーも楽しんでいきたいですよね。そんなふうにいつも思う、小形誠ストーリーにおいて主役の小形誠です。笑。どうせなら面白いストーリーのある人間を目指したいです。
男女のケンカ:いい女は流す、いい男は向き合う [life]
【いい女は流す、いい男は向き合う】
https://diamond.jp/articles/-/177548
・いいケンカは二人の将来に繋がるケンカ(お互いの意見、理解、改善のため)、悪いケンカは感情だけぶつけ合って自分のストレスを相手に押し付けてしまうようなケンカ
・いい女は悪い感情を水に流す(「1年後も、おばさんになっても、これは悩んでいるようなこと?」と問いかけてみる)
・いい男は向き合う人(男性の方が流す能力が高いので、たいした問題と捉えておらず、小さな問題が後々大きく膨らんでしまう場合が多い)
、、、以上、記事引用参考。
ふむふむ、確かにそうかもなと思いながら読みました。^^
良くも悪くも、
女性は感情に向き合う生き物
男性は感情に向き合わない生き物(向き合いたくない生き物?)
女性は流すことが苦手な生き物
男性は流すことが得意な生き物
「向き合う」と「流す」、二つは似たような言葉ですが、あえて並べて書いてみました。(あくまで、異性間のことに関しての性質だと思います)
傾向として、女性は起伏が激しく、比べて男性は平坦であることが、よくわかる言葉でもあります。
そもそも、なんでこういう男女差が生まれたのでしょう?
よく言う話として、大昔の狩猟時代の女社会、男社会で形成されたもの?
狩りをする男性たちの帰りを待つ女性たちは、コミュニティを維持するために、向き合う性質になった?
狩りというミッションをこなす男性は、小さなことなど気にしていられないから、流す性質になった?
進化論的に考えれば、私たちはその時から進化(変化)していないということ?
いや、もしかしたら、この男女のケンカを乗り越えられた時こそ、さらにもうひとつ上の進化ができたと言うこともできるのかもしれない。笑
いや、待てよ?
向き合いがちな女性が流せるようになったら、
流しがちの男性が向き合えるようになったら、
それはつまり、女性の男性化、男性の女性化と言うこともできるのではないだろうか。^^;
それを進化と言うのだろうか、、、なーんて、相も変わらず、くだらない考えを巡らす小形です。笑
感情的に向き合いがちな女性に対して(→)男性はいっそう流そうとしちゃったりします。
流しがちの男性に対して(→)、女性はなおいっそう感情的に向き合おうとしちゃったりします。
時系列的に、どっちが先かというのも結構重要なろころだと思います。
「いっせいのせ!」でお互い改善できれば、本当は一番いいんですけど、難しいですよね。
そんな時は、「自分が先に進化してやるか」と、ちょっと上から目線で自分の振る舞いを変えてあげるのもいいかもしれませんね。(もちろん、心の中でそう思ってね^^)
以上、小形のくだらぬ雑感でした。^^
ではでは
女性vs男性で考えた時、「向き合うvs流す」「流すvs向き合う」「向き合うvs向き合う」「流すvs流す」の4パターンが考えられます。どれも良い点と悪い点、両方あると思います。お互いに両方の性質を備えれば、臨機応変に4パターンのどれかを選べるかもしれません。しかし、上述のように、お互いに男女特有の性質しか持ち合わせてない場合、常にワンパターン(「向き合うvs流す」)で行き詰まるかもしれませんよね。
短期間では外見重視、長期間では内面重視 [free]
【見た目に自信がない男性が美女を攻略するための科学的秘策】
https://dime.jp/genre/579495/
・カップルになる前の知り合い期間と、カップルの外見的魅力のギャップに極めて強い関係があることが判明
・知り合いだった期間が短いカップルほど外見的魅力が似た者同士であり、知り合いだった期間が長いカップルほど、二人の外見的魅力に差があった
・女性たちは男性の脚の長さに注目しており、脚の長い男性に肉体的魅力を感じていることが判明
・脚が短いことは、糖尿病や心臓疾患、高血圧に関係していると考えられており、男性の健康を示す意味で、脚の長い男性は女性から魅力的に見えることになるようだ(長い脚は、高い社会的地位、良好な栄養状態、成長の安定性、効率的な歩行と走行に関係している?)
・脚が長い男性は背が高い可能性も高くなり、つまりは、背の高い男性を女性が好むことにもつながる。しかも、身長差があるカップルほど、女性が幸福である傾向も判明。しかし、その身長差カップルは長続きしない(およそ18年ほど)
、、、以上記事引用参考。
どうも、内面的魅力で勝負する小形です。笑
上記のことは、改めてそう言われなくても、感覚的にわかっていることではありますよね。^^;
知り合いの期間が短い方が外見重視でカップル成立、知り合いの期間が長い方が内面重視でカップル成立
上記のことは、こういうふうに言うこともできると思います。そりゃあ、当たり前ですよね。短い期間では中身はわからないのですから。
逆に言えば、美男美女カップルは知り合いの期間が短く、美女と野獣のようなカップルは知り合いの期間が長い、可能性が高いと見ることもできるのかもしれません。
とりあえずは、
外見的魅力がない人は長期戦で相手を攻略するのがいいということも、改めてわかります。^^;(まあ、長期戦で中身をアピールしないとね)
女性は、脚が長い=高身長の男性を好む
、、というのも、まあ、大体わかってはいることですがね。。
男性陣からはそんな外見的なところで評価するなよという文句もでてきそうですが、外見で異性を評価しているのは、むしろ男性の方だというのがよくわかるのが以下の記事です。
【女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ】
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56931
・美しい女性はコミュニケーション系の仕事では高く評価されるが、高い指導動力を発揮する系の仕事では低評価になる
・男性の脳は、女性が肌を露出すればするほど、その女性を人間とは思わなくなる。(モノ扱い?)
・女性ヒッチハッカーのバストサイズが大きいほど、ヒッチハイク成功率は上がる(男性ドライバーに向けて実験)
・一方で、バストサイズが大きいほど、男性の中では「頭が悪そうだ」という印象が形成されていく
(実際、バストサイズが大きいほど知能が下がる傾向が微小ながらもあるという知見も興味深いです)
、、、以上、記事引用参考。
大きな括りで見れば、外見で左右されるのは、むしろ男性よりも女性ですよね。
女性にとっては、美しいことも、バストサイズが大きいことも、一長一短??^^;
男性は外見で仕事を評価されたり、知能を低く見積もられたりすることはほとんどありません。
それを考えれば、男性が恋愛面で、女性から脚の長さや高身長を求められることくらい大したことではないのかもしれません。
(シークレットブーツ履けばいい程度の問題?^^;)
ただ、思うことは、
ヒッチハイクの実験も、バストサイズと知能の関連性の実験も、それらはほとんどすべて、第一印象での相手の評価に基づいているということです。
知り合い期間が短ければ、外見重視(外見評価)になるのは致し方ないことは、上述した通り。
やはり、恋愛面でも仕事面でも、その他すべての人間関係において、本当の評価を下せるのは、知り合いの期間が長くなってからなのだと思います。(その段階では、美やバストサイズ、脚の長さなどは関係ない)
一回会っただけで、好きになったり、嫌いになったりする人もいますが、正直、そんな短期間評価はあてになりません。^^しかも、現在のSNS時代では、会ったこともない人同士で言い争いをしたり、評価や批評をする風潮もあります。それは知り合いの期間が短いどころの話(レベル)ではないですよね。^^;
それが良い悪いの話ではなく、第一印象はあくまで第一印象(短い期間での評価)。
そのことをよくよく頭に入れておいた方がいいと思うのです。
相手の本当(本物、真実)を知れるのは、長い期間を積み重ねてから
恋愛面、仕事面、その他すべての人間関係において言えることだと思います。
(そこでは美もバストサイズも脚の長さも関係ない)
長くなっちゃいましたね。。
ではでは
知れば知るほど好きになる、嫌いになる。それは結構ですが、知ってもいないのに、さらには、知る前から、相手に評価を下すのはいかがなものかなと思います。自分の中の相手への評価や判断がどれだけの「積み重なった知ってる」に支えられたものなのかを意識することはとても重要だと思います。
怒りやすい人ほど自己愛が強く、自身の知力を高めに見積もっている(研究結果) [free]
【「すぐ怒る人」は実際よりも自分が賢いと考えていることが判明】
https://gigazine.net/news/20180809-anger-people-think-smart/
・怒りやすい人は自分の認知能力を高めに見積もる傾向があると判明
・一方、怒りやすい傾向を持つ人の中でも神経質な傾向を持つ人は、実際の状況よりも自分の認知能力は低いと考える傾向にあることもわかった
・怒りやすい気質の人格であるほど、「narcissistic illusions(自己愛的な幻想)」と結びついている
・つまり、怒りやすい人ほど、より自己愛が強く、自身の知力を高めに見積もっている
・「ただし、「怒りやすさ」は実際の知力レベルには関連は認められない
、、、以上、記事引用参考。
最後に、怒りと知力の関連性は認められないとは言っていますが、「怒りやすい人ほど、自己愛が強く、自身の知力を高めに見積もっている」というのは、ひとつの傾向として、そうだろうなと思います。
そもそも、なんで人は怒るのか?
簡単に言ってしまうと、
「こうすべきだという自分のルール(価値観)から外れたことが発生するから怒る」
自分の「こうすべきルール」が多い人ほど、怒りやすいのだと思います。こうすべきルールが多いということは、考え方が凝り固まっている可能性もありますよね。
もちろん、自分ルールから外れたことが起きても怒らない人もいます。怒るということは、それを受け入れらないからです。怒りやすい人ほど、多様なルールや価値観を許容、吸収できないとも言えるのかもしれません。
これらのことを考えると、「怒りやすい人ほど、自分の知力を高めに見積もる、つまり、実際はそこまで高くない」というのとリンクしてくるような気がします。
ちなみに、
アドラー心理学によると、怒る目的は4パターンに分類されるようです。
1、支配
親子間や上司と部下、先生と生徒などの関係において相手を自分の思い通りにしたい
2、主導権争いで優位に立つこと
親子間、夫婦間、社内、友人間などの中で自分が主導権を持ちたい
3、権利擁護
自分の権利、地位が脅かされそうになったとき
4、正義感の発揮
個々人の信念が破られそうになったとき
これらも読み解いていくと、また色々と見えてきそうですが、長くなるので今日はやめておきます。^^
まあ、弱い犬ほどよく吠えるとも言いますからね。^^;
怒ること自体は別に悪いことだとは思いませんが、すぐ怒ったり、怒りやすいというのは、いかがなものかなと思います。
怒りやすい人は、上記で述べてきたように、
考え方(価値観)が狭い、許容力がない(器が小さい)、余裕がない、そして、今回の研究結果のように、本人が思っているほど知力は高くない、というふうに相手に見られてしまう可能性もあります。
怒りやすい人は気をつけていきましょう。
ではでは
基本、ニコニコの小形は久しく怒っていません。ただ、たまに本気で怒るとめっちゃ相手はビビりますし、怖がります。笑。そういう意味でも、怒ってばかりではなく、たまにがいいのですよ、怒るのは。^^